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映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ Welcome To Sarajevo」(1997年イギリス)

今日はマイケル・ウィンターボトム監督の1997年の作品
 映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ」
を紹介します。

ボスニア内戦をテーマにしたこの映画、イギリス人ジャーナリストの視点から描かれたものです。
ジャーナリストが報道かヒトかの葛藤に悩みながら、
現地にいながら現地の人々とは違う目線で内戦を見つめる様子が見事に描写されています。
映画のオープニング、テーマ音楽にのって登場するのは、
84年サラエボ冬季五輪オリンピックの五輪(・ー・)ノ †SbWebs†のジャンプ、フィギュアスケートなどの華やかな映像です。
オリンピックを開催した近代的な都市が、それから10年も経たないうちに、戦場となってしまった現実が悲しく映ります。
実写の映像も数多く使用されています。
ボスニア内戦を後世に伝える意味で、記録映画としても貴重な映画であると思います。

この映画を初めて観たのは、ルーマニアのブカレストにある映画館。
1998年の初夏でした。当時オーストリア・ウィーンでドイツ語を勉強していたみっきぃパパピッピヵチュウ♪
1ヶ月ほど授業のない期間があって、ボスニア、クロアチア、ルーマニア、ハンガリーを一人で旅したのでした。
元々旧ユーゴスラビア地域に興味を持ったのは、中学生の時。
旅好きの先生に影響されて、大学1年の夏に東欧を旅するぞ!と決めた時まだ中学3年生。

そして1991年に大学入学。
決めたルートはおおまかに、
 ベルリン→ワルシャワ→クラクフ→プラハ→ウィーン→ブダペスト→ザグレブ→ドブロブニク→モスタール→サラエボ→ベオグラード→ブカレスト→イスタンブール
という感じ。

しかし、1991年6月にクロアチアが独立を宣言したことにより、「旧ユーゴで内戦の恐れ」との報道で急遽ルートを変更。

1991年夏休みの初海外一人旅、実際のルートは、
 ベルリン→ワルシャワ→クラクフ→プラハ→ブダペスト→ウィーン→ベネチア→インスブルック→ザルツブルク→ウィーン
となりました。

特に興味があったのが、サラエボとモスタールだったので、当時とても残念でした。
なぜ興味を持ったかというと、教会とモスクが混在する独特の旧市街の景観と街並みがとても美しいからでした。それに、記憶に残っている一番古いオリンピックがサラエボ冬季五輪だったので。

sarajevo.jpg

1991年以降旧ユーゴの政情は悪化し、92年にはボスニア内戦も勃発。
とても旅行などできる状況ではなくなってしまいました。

それから7年、1998年。2度目のヨーロッパ。
ウィーンを拠点に休みの度にいろいろな所へ出掛けてましたが、1ヶ月もの長い休みは唯一で、
ボスニア、クロアチア、現在のセルビア、ルーマニア、ハンガリー
をゆっくり周ったのでした。

当時はボスニア内戦終結からわずか数年。
日本のガイドブック「地球の歩き方・東ヨーロッパ編」などからはボスニアは外されており、
今に比べインターネット事情も良くない時代ですので、
ボスニアは普通に旅ができる状態なのかどうかも分らない状態。
英語のバックパッカー向けガイド「ロンリープラネット」や「レッツ・ゴー」ではボスニアを扱ってはいるものの、
そこには、内戦前の安宿は全滅、唯一生き残っているホテルは「ホリデーイン」で1泊200ドイツマルクなどと書いてある。
また、サラエボ市内でも地雷が残っており、舗装道路以外は歩くななどという記述も・・・。

しかし、「ロンリープラネット」や「レッツ・ゴー」の情報で素晴らしかったのは、
「ボスニア・ツアーズ」という旅行代理店で民宿を斡旋しているとの一文。
勿論、お世話になりました。
200マルクも払えなかったし、他の選択肢は野宿くらいなので・・・。

在ウィーン日本大使館領事部のスタッフの
「まぁ、大丈夫じゃないんですかぁ」
という適当な言葉にちょっとムッ怒っとしながらも、その言葉を信じ、サラエボ行きを決定。

それに、ウィーンから国際バスが運行されているということは、大丈夫だろうと・・・。

ウィーン中央駅横のバス乗り場から、サラエボ行き直通バスに乗車。
夕方出発したこのバス、スロベニア、クロアチア領内を通過し深夜ボスニア・ヘルツェゴビナへ入国。
計3回の国境。その度たたき起こされ、殆ど眠れなかった。

ボスニアの山中を走るバス。
外はまだ暗かったが、途中の村々で人が数人単位で降りていき、徐々に乗客が減っていく。

そして、早朝空が明るくなり始め、風景が見えるようになってきた。
そこで目にしたものは、衝撃的な光景でした・・・。
山中に点在する村々の多くが焼け落ちて、廃墟になっていたのです。
こんな状況の村々へウィーンからのバスの乗客が下車し帰っていくのです。
とにかくショックでした。

ボスニア内戦中はあまり日本では詳細が報道されなかったような印象があります。
たまに大きく報道される時は必ず衝撃的なニュース。
 「サラエボの国立図書館全焼」
 「サラエボのゼトラホール全焼」(東独のカタリナ・ヴィットがフィギュアで金メダルを取ったあのホールです)
 「モスタールの石橋破壊」
等々・・・。
その都度、ショックを受けていたものでした。

zetra2.jpg

zetra1.jpg

徐々に高層ビルが見え始め、バスはサラエボ首都圏に。
都市部も状況は酷く、マンションなど殆ど無傷の建物が見つからない程でした。
真黒な路面電車が山積みになった場所も見えました。

building.jpg

サラエボ鉄道駅の前のバスターミナルに到着しましたが、駅舎も大きな被害を受けていました。
駅前にはオリンピック当時の看板も・・・。

olympic.jpg

地方都市、モスタールも酷い状況でした。
日本でも報道されたとおり、オスマントルコ時代の石橋が崩れて無くなっていたのです。

most1.jpg

衝撃を受けた状況でクロアチア→ハンガリー→ルーマニアとコマを進める。

そして、ブカレストの映画館で映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ」のポスターを見かけたのです。
早速チケットを購入し観てみました。

英語のセリフは良いものの、ボスニア語のセリフの部分、折角の英語の字幕の真上にルーマニア語の字幕が・・・。アップロードファイル

いまいち消化不足だったため、日本で観直すことに。
帰国後、恵比寿ガーデンシネマでまだ上映されていることを知り、日本語字幕版で改めてみたのでした。

映画「ウェルカム・トゥ・サラエボ」は、記録映画として捉えたら断然お勧めです。

今日は旅行記&映画レビューということで。
長ぁ~・・・。はぁ

みっきぃパパピッピヵチュウ♪

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