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2011年を振り返る。

2011年も今日で終わります。
本当にいろいろあった1年でした・・・。

我が家では、長女が誕生しました。

そして今年は3月11日に未曾有の大災害・東日本大震災が発生しました。
この大災害を経験した我々日本人にとっては忘れられない1年となりました。

3月11日以降、夏にかけての余震、物不足、計画停電、放射能汚染など・・・。
そんなたいへんな環境の中、5月3日に長女を出産したみっきぃママ、
無事生まれてくれた長女、そして環境の変化にも順応してくれたみっきぃにも改めて感謝したい。

そんな1年を月ごとに振り返ってみたいと思います。

・・・・・

2011年1月。

2010年の12月に突然ヘルニアを発症したみっきぃ
12月中は、一時は全く立つことができない状態に陥り、本当に心配しました。

この時期は、大切な息子・みっきぃのために、
毎週の様に目黒まで車を走らせ、鍼治療に通う日々を過ごしていました。

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・・・・・

2011年2月。

みっきぃのヘルニアの症状は改善されてきたものの、まだ散歩中足を擦ったり、
歩き方が不安定だったり・・・。
尚も鍼治療に奔走するみっきぃ一家でした。

出産まで3ヶ月を切ったみっきぃママ。
3人での最後の宿泊旅行になるだろうということで、
千葉・館山へ1泊2日の家族旅行へ出掛けたりもしました。

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・・・・・

2011年3月。

3月11日(金)14時46分、宮城県沖を震源とするM9.0という大地震が発生。

この日たまたま新潟へ出張に行っていました。
地震発生時は、新潟県内の関連会社の事務所で打ち合わせ中でした。
新潟県K市は震度4と発表されましたが、かなり強い揺れがかなり長く続き、
体感震度は震度5以上でした。

地震発生直後、屋外に避難しましたが、
その時に震源が宮城沖で、最大震度が宮城県栗原市の震度7という情報だけ耳にし、
地理的な関係から、まさかその時は新潟よりも首都圏の方が揺れが強かったとは想像さえもしていませんでした。

しかし、実はこの大地震は2度の宮城沖の断層破壊と茨城沖の断層破壊が短時間で連続で発生したものであったとのことでした。

地震発生直後に、埼玉県の自宅にいたみっきぃママとは連絡が取れ、
みっきぃともに怪我が無いことを知りました。
自宅ではいろいろなものが落下して破損したりしましたが、大きな被害はありませんでした。

本人とは連絡が取れたものの、妊娠9ヶ月目の妻を自宅に置いてきたということで、
一刻も自宅に帰りたい気持ちでいっぱいでした。

そして父とも連絡が取れ、両親の無事が確認できました。

その後、東京、埼玉、千葉、神奈川など首都圏でも大きな被害が出ていることを知り、
強い衝撃を受けました。

上越新幹線は終日運行中止を決め、首都圏の全てのJR線も運行中止。
関越自動車道も閉鎖に。
帰る手段を失い、3月11日は新潟市内のホテルに宿泊し、翌日帰宅することにしました。

そして、東北から関東にかけての太平洋沿岸部に非常に大きな津波が押し寄せ、
多くの街が壊滅状態にあることを知りました。

茨城は!?!?!?大洗は!?!?!?
全身に鳥肌が立つ思いでした。
大洗、那珂湊などの沿岸部には多くの親戚達が暮らしています。

既にテレビでは、大洗漁港が津波に襲われる映像が繰り返し流され、
今までに見たことともないような、大洗沖の大きな渦を巻く荒れた海の様子・・・。

その後3月14日(月)に親戚全員の無事を知り、安心はしましたが、
その後しばらく経ってから、地震による家屋への被害や、津波による車への被害など、
「良かった」の一言では済まない事実を知り、衝撃を受けました。

3月12日(日)午前3時59分、
携帯電話の緊急地震速報が鳴り響き、新潟のホテルで飛び起きました。
長野北部を震源とする最大震度6強という大地震です。
新潟市内ではそれほど大きな揺れを感じませんでしたが、
東北から関東にかけての太平洋沖の震源域とは全く異なる場所で発生した大地震、
また違った不安要素が頭をよぎり、いつ家族に会うことができるのだろうか・・・、
とにかく不安な時間を一人新潟で過ごしました。

結局自宅に帰ることができたのは、3月12日(日)の夜遅くなってからのことでした。

同時にとにかくたいへんな1週間の始まりでした。
多発する携帯電話の緊急地震速報とその直後の余震、
原発事故による放射能汚染の心配、そして計画停電の実施・・・。

電車は運休し、ガソリン不足で会社に行けなくなってしまった1週間。

報道されている東北、関東の信じられない様な被害状況に毎日のように衝撃を受けながらも、
自分達の生活を直撃する数々の出来事・・・。
そんな3月の日々を過ごしながら、徐々に通常の生活を送ることが出来る様になってきたのは、
3月末になってからでした。

・・・・・

2011年4月。

みっきぃママもついに臨月を迎えました。

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しかし相変わらず余震は続いていました。
特に4月11日の夕方に発生した余震では、埼玉県南部でも震度5弱の強い揺れを観測しました。
そして放射能汚染の問題は、妊婦を抱える我が家にとっても大きな関心事の一つでした。

また、震災後の自粛ムードを我が家でも断ち切るべく、
銀座の「てんぷら近藤」へ夫婦で食事に行ったり、
山中湖のペンションへ宿泊旅行へ行ったりしました。

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お腹にいる娘の為にもなるべく楽しい気分で毎日を過ごしたいという気持ちからでした。

山中湖のペンションは、震災後初めての客であったり、
予約を入れるのが難しい人気店「てんぷら近藤」も簡単に予約が入ったりと、
サービス業を営む方々の深刻さを感じた1ヶ月でした。

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・・・・・

2011年5月。

2011年5月3日午前1時44分、無事元気な女の子が誕生。
予定日から1週間遅れての長女誕生でした。
たいへんな世の中で、無事に元気に生まれてくれて、とても嬉しかった。

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5月3日の未明、長女と初めて会って、その帰り道、
節電のためコンビニなどの店舗の明りが消えた国道・・・。
改めて、わが娘はたいへんな時期に生まれて来てくれたのだと、感謝の気持ちでいっぱいでした。

・・・・・

2011年6月。

近くの神社へ娘のお宮参りに行きました。
まだまだ日々すくすく成長していく様子を感じ、成長を楽しみに毎日を過ごす月でした。

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また、職場では大きな人事異動があったりして、仕事面ではいろいろと大変な月でした。

・・・・・

2011年7月。

暑い夏でした。
わが職場でも、輪番休日制度が実施され、大変な時期でした。
でも日本全体が大変な状況下にあるので、協力は当然だと思いながら日々過ごしていました。

アメリカ本社から来客があって、バタバタしたりもしました。
3月11日の夕方、アメリカはまだ早朝でしたが、いち早く心配してメールを送ってくれたのも彼らでした。
あの時は、次々と世界中の知り合いからメールをくれたのが嬉しかった。
それだけ、あの震災は世界中で大きく報道されたということです。

みっきぃの5歳の誕生日に合わせて、初めての家族4人での宿泊旅行で館山に行ったのも7月。
生後2ヶ月の娘は、食堂でも大人しくしてくれていて、
2泊3日の館山旅行、のんびりと楽しく過ごすことができました。

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また、休刊となった雑誌「ぴあ」の「ぴあ満足度ランキング」に、
みっきぃパパの映画感想コメントが掲載されて、とても嬉しかった♪

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2011年8月。

震災後初めて家族で茨城県の大洗、那珂湊を訪れました。
親戚達へ娘が生まれた報告することと、墓参りが目的でした。
早く行きたかったのですが、被災地である大洗の状況、続く余震、放射能汚染などの問題から、
なかなか行くことができませんでした。

現地では、墓地の被害状況や、家屋の被害状況にも衝撃を受けましたが、
親戚達の元気そうな様子を見て、そしてやっと娘を親戚の皆さんに紹介できて、ほっとしました。

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一人旅でベトナム旅行へ行ったのもこの月でした。

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そして娘のお食い初め。順調に育ってくれています。

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2011年9月。

用事があり、また茨城の親戚の元を訪れました。
震災から半年経っても尚、深い傷跡の残る那珂湊の「おさかな市場」の状況にも驚きました。

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9月後半、一人で東北の被災地を訪れました。
まだまだ必要とされている瓦礫撤去などのボランティア活動に参加するつもりでしたが、
保険の問題などから実際に参加することはできませんでした。

栗原、登米、気仙沼、南三陸、石巻、東松島、松島・・・。
実際に現地へ行ったことで、メディアを通して見て来たものとは異なる視点で様々な問題点を知りました。
この経験を今後の為に、そして被災地の方々為になる行動を取る為の材料としていきたいと思います。

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津波の被害が少なく、今は遊覧船なども通常運行されている松島湾。
観光客の激減は深刻な問題です。

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そして、すぐ近く、湾の外側の東松島市の奥松島。壊滅的被害に言葉もありませんでした。

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今も壊滅的状況にある地域とそのすぐ隣の観光地。
我々県外の人間の行動、難しい判断だと思いますが、
現地へ行って現地でお金を使うこと、これも立派な復興支援だと思います。

9月後半、輪番休日も終わりました。
震災から半年経って、あれほど大きな揺れを経験し、多くの死傷者を出した首都圏ですが、
震災の話題が出ることも少なくなりました。
今も続く震災の傷跡、いつまでも忘れないようにしたいと思います。

・・・・・

2011年10月。

みっきぃパパの両親と一緒に親子3代での長野旅行、みっきぃのワンワン運動会など、
家族で参加するイベントごとの多い月でした。

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また、みっきぃパパは、毎年楽しみにしている東京国際映画祭を今年も楽しむことができました。

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・・・・・

2011年11月。

みっきぃパパ、1年振りのアメリカ出張。
今回は2週間の出張で、娘と2週間も離れるのは初めてでした。
少し離れてみることで、我が娘の可愛さを改めて実感しました。

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・・・・・

2011年12月。

年末はやはり忙しい・・・。

12月は新潟へ2回、そして琵琶湖へ1回出張。
それに忘年会や送別会など会社がらみでバタバタ。

その一方、思い付きで西湖へ日帰り旅行に行ったり、

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フグ料理のクリスマスイブ・ディナーを家族で楽しんだり、

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充実した月でした。

・・・・・

いよいよ新しい年が始まります。
世界中の人々にとって素晴らしい年になりますように。

みっきぃパパ

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テーマ : 日記
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みっきぃパパさん、新年あけましておめでとうございます☆
いや~素敵な記事を読ませてもらいました。
昨年は特に色々あった年ですが、こーしてきちんと一年を振り返るって大事なことですよね。
パパさんの家族への想いも伝わりますし♪
ママさんは面白いし(笑
いえ、パパさんもね!
ではでは、お互い今年も楽しくすごしましょう~☆

返信-とももさん

長ーーーい記事、読んでいただきありがとうございました♪
昨年はいろいろなことがありましたが、今年は良い年にしたいですねv-289
今年もよろしくお願い致します。
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プロフィール

みっきぃパパ

Author:みっきぃパパ
家族:みっきぃママ、みっきぃ(長男)、娘(長女)
職業:外資系エンジニア
年齢:アラフォー
キーワード:旅行、ゴルフ、映画、ラーメン、ミスチル、シンディ・ローパー

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